人生を生きていく上で知っていたほうが、絶対に得する知識があります。
この考え方に沿うと、スピリチュアルで言われていることの真偽の判断、自身や他人を動かすことができます。
その結果、自分にとって役立つ方法論を採用することができ、普段の能力+スピリチュアルな能力により、他人よりも優れた能力を発揮することができるようになります。
残念ながら、以下の話しはすべて科学です。
自由意志のないことの証明
ベンジャミン・リベットやジョン=ディラン・ヘインズらは実験により、人がなにか動作をしようとする「意識的な意思決定」をする前に、すでに筋肉の「準備電位(Rediness Potential)」と呼ばれる電気信号が立ち上がっていることを確認しました。
この話し自体はご存知かもしれません。
問題はこの実験の意味です。
私たちは「意識から決める」のではなく「脳のどこかが決めたあとに、意識が理由付けをしている」可能性が高いということになるのです。
この文は読み流さないでください。残りの議論はこの文の解釈を巡る話です。
逆の事例をあげます。
下の図を見てください。

もしも、スマホでこの記事を読んでいるならば体験できないかもしれません。Xと●の間が10センチ程度離れている必要があります。
右目を手で隠して、左目で●を見て顔を図に近づけてみてください。どこかで左のXが見えなくなります。これが盲点です。眼球の中で網膜からの視神経細胞が束ねられ、脳に繋がる部分がありますが、その束ねられたところには網膜がないので、どんな人でも必ず盲点は存在します。
ところが我々は普段の生活で、まったく盲点を認識しません。それは視神経を処理する脳が適当に補完して情報を意識に伝えているおかげです。
例をあげればキリがありません。
視界には鼻が常に映っているにもかかわらず、私たちはその存在を意識上にあげる時は限定的です。
プライミング効果という言葉をご存知でしょうか。子どもの遊びの「10回クイズ」などがあります。例えば、「シャンデリア」と10回言ってもらった後に、「毒りんごを食べたのはだれ?」と質問すると、多くの人が思わず「シンデレラ」と答えてしまうアレです。(正しい答えは白雪姫)
プライミング効果は意外に長続きします。心理実験で、実験の前日に赤い服を着た女性に親切にしてもらった男性は、翌日の実験で「なんとなく」赤をラッキーカラーに選んでしまう傾向が多いなどが示されています。
このように簡単な刺激で人間の判断は左右されてしまうのです。
脳は異なる役割を持つ複数のシステムが協調し動作している複雑なネットワークです。感覚、身体感覚、情動、習慣、社会的評価、論理思考などが同時に作動していますし、それぞれの部分は意識にデータを渡す前に、相当に要約してしまいます。
脳は決してひとつのCPUからできているわけではない、大量のCPU群です。
しばしば抽象的に感覚器官から受け取った信号のほんの少ししか意識には渡ってこないと言われますが、それよりも重要なことは意識は要約され欠けた情報を補完してつじつまをあわせ、自分がでっちあげた現実を信じているということです。
行動の決定も意思とは違うところで決定されています。意識が「自分」という主人公を位置づけ、もっともらしく行動の理由を語るようにできています。
実際の生活を思い起こしてください。いつ、どのように歩くかなどについてほとんど意識はしていないと思います。顔を洗ったり、歯を磨いたり、髪を整えたりといったルーチンの行動はほとんど意識していないにもかかわらず、進んでいきます。
自分の行動を見ると、唯一の自分であるはずの意識の関与がとても少ないことに気づきます。
意識とはなにか、はついに解明されてしまったのです。それも、期待ほどの神秘性もなく。
意識の出現
もともと、生物界を見回してみると、意識をもった生物は「高等生物」などと言われ少ないことに気づきます。
つまり意識は脳の中で最も新しく進化した機能であることがわかります。意識は「私」を認識し、エピソード記憶を扱えるようにするために生まれました。体験を物語として保存することは、生存や社会的協力に圧倒的な有利性をもたらし、大成功したのです。
ところがこの意識は、自分とは意識がすべてである、と錯覚するようになりました。社会もそのように考えています。実際には、行動の多くは環境、無意識、習慣、身体状態によって決定されています。
意識は脳の状態により簡単に変わります。脳腫瘍や交通事故で脳に損傷を負うと、性格、言語能力などの記憶が簡単に失われてしまうことは、ご存知のとおりです。
そこは社会でも「心神喪失状態」での行動は罪に問えないとしているのです。
意識で行動は変えられない
ここからわかることは、「やる気」「アイデア」などの意志に頼って行動を促したところで、自分の行動を変化させることは難しいのです。意識レベルの決定を聞いてくれない自分の行動を「努力が足りない」「根性が足りない」「三日坊主」などと批判されてきたはずですが、無理なアプローチで成果をだそうとした例です。
ここからわかりませんか?
「アファーメーション」とか自分の意識の中であれこれやる方法というものは、みなさんの大好きな潜在意識とは関係がないということがわかります。
自己啓発本にある、考え方を変えようとして理屈をいろいろつけたとしても、脳の他の部分がついてこないのは当然なのです。
いくら意識の上で宇宙意識だ、なんとかの教えだ、と知識を増やしたところで自分はなにひとつ変わらないのです。
意識を変えるよりも環境を整える
それではどうすればいいのでしょうか?
自由意志が幻想なら、人間に希望は残るのでしょうか。多くの学者も当然、同じことを考えました。その結果、行動が意志ではなく仕組みと条件によって変わるのなら、私たちがすべきことは自分や他人に「なぜそんなことをしたんだ」と責めることではなく、「環境と条件を設計する」ことのほうが効果的であるということに気づいたのです。意思ではなく、設計。努力ではなく、仕組み、です。
最近、行動経済学という分野が「ナッジ理論」というもので、行動を促す環境を提示しようという考え方をしています。ナッジの定義の一部に「ナッジは命令ではない。果物を目の高さに置くことはナッジである。ジャンクフードを禁止することはナッジではない。」ということで、ナッジとはどういうものかおわかりいただけるのではないでしょうか。
意識が思わず行動してしまうように環境を整えることが、人間の頭脳をうまく使う方法です。
もちろん古来から伝わる方法も有効です。意識が消え去った時、例えば深い瞑想中などにイマジネーションなどをもつことなどがあげられます。
他人に対しても、明示的に他人の意識に記憶されるような行動でなくても、親切にしてあげたことはその人の記憶の奥底に沈み、それはなにかの時に彼・彼女の意識とは関係なく意思決定に意味をもつのです。
自由意志が錯覚であるとしても、私たちにはまだ自由があります。
それは「自分をよりよく動かす方法を理解する自由」という長期的なアプローチです。
この知識をもとに自分をうまく動かす環境設計をしてみてください。
