ラジオニクスの創始者(アルバート・エイブラムス)

アルバート エイブラムス(Dr.Albert Abrams 1865-1924)

Mr.Abramsアルバート・ エイブラムス(Albert Abrams 1863-1924)は1863年サンフランシスコの裕福な商人の家庭に生まれる。エイブラムスの秀た経歴は、ドイツのハイデンベルグ大学医部を首席で卒業し、ベルリン、パリ、ビエナ、ロンドン等で医学研究生活を
送る。ハイデンベルグ大学では、医学・物理学・哲学者として世界的に知名のヘルマン・ホン・ヘルムホルツのもとで学び、その後親しく付き合う事になるが、このヘルムホルツの交友から刺激を受けて、彼は生物学と物理学の法則を結びつける事を試みる様になり、この事が後々までの彼の研究と新たな発見へと運命づける事になる。その後米国に帰り、スタンフォード大学医学部で病理学を教え、医学科主任となり病理学の博士号を受けている。1924年61才で、突然この世を去るまで彼の研究は続けられた。

新しい発見 地球磁場と打診音の変化の関係

打診 エーブラムスは、大変優れた診断専門医で、特に”打診法”の名人であった。この”打診法”と言うのは、右図のように患者の体を軽く指で叩いた共振音の変化を手掛かりとして、腫瘍の有無や病気を診断する方法である。ある日、スタンフォード大学医学部で、いつものように患者の体を打診していた時の事である。研究室の近くにあったX線装置に予告なしにスイッチが入れられた時、その打診音が鈍くなった事に気付いた。エーブラムスは、患者を回転させ色々な方角に向けて打診音の変化を調べた。
その結果、打診音の鈍化は患者が、東と西に向いている時のみ生じ、南北に向いている時は打診音は変わらず鳴り響く事を発見した。

その後、一人の口唇癌患者を診察していた時に患者の腹部を打診すると鈍い音を発生する事を検知した。更なる検査でその鈍い打診音は、患者を西向きにした時のみ発生すると言う、X線装置が及ぼした影響と同様の特殊性を発見した。数カ月色々な疾患に悩む患者で実験をした結果、上腹部の神経繊維の収縮反応は、X線装置からの放射エネルギーによる物と口唇癌患者の様に、癌の成長を集合的に形成しつつある分子の振動に反応して起こっていると考えた。

エーブラムスは、これらの考えをもとに次の様な実験をしている。健康体である彼の雑役夫アイヴァーを西に向かせ、彼のちょうどヘソのすぐ上の所を軽く叩きながら、学生達に反響音の変化を注意深く聴く様に命じた。次に一人の若い医師に癌組織のサンプルをアイヴァーの額に軽く触れるように持たせ、それを数秒間隔で触れたり離したりさせて、癌組織のサンプルが額に触れている時だけ打診音が共振音から鈍い音に変わるのを学生達に聴かせた。この実験から、病気にかかった組織のサンプルから発せられる波動は、健康な人体によって受信され健康な人体の組織に反応を及ぼすのだと推測した。この現象は、1916年に「New Concepts in Diagnosis and Treatment」として発表された。

「エーブラムスの電子反応」 (Electoronic Reaction of Abrams-E・R・A)

リフレクソフォン つぎにエーブラムスが発見したのは、癌組織サンプルの様な病理学的サンプルが発する波動は、
電気と同様に導線を伝わると言う事である。テストにテストを繰り返していたエーブラムスは、健康な助手と患者を導線で接続させると健康な助手の腹部の特定の場所に、患者と同様な反応が生じる事を発見した。この事は非常に画期的な事で、正確な打診をする為には患者を直立に立たせておかなければいけないのだが、重症の患者を長時間立たせておくことは非常に困難な為この発見は、その様な患者の場合に有効な手段となった。

また、1.8mの導線の両端に円形の金属プレートを取り付け、片方を患者の額に当てもう片方を健康な助手の体の上をゆっくりと移動させながら助手の腹部を打診すると、ある特定の場所で打診音が鈍く変化した。この方法により、患者の病気の波動の伝搬と感染場所や疾患部位を特定する事に成功した。
さらに、大胆にもエーブラムスはこの導線を伝わる波動は、電子的な物であると確信し導線の間に直列に可変抵抗器を繋いだ。実験では、梅毒を持った患者を導線の先に繋ぎ、可変抵抗器のダイヤルを回すと55の位置で打診音が変化し、また癌患者の場合は、50の位置で変化した。

この様な実験を繰り返し、この可変抵抗器を加減する事により個々の病気に同調できる事を発見した。そこで反対に抵抗値(オーム)によって病気が何であるかを決定できる事を発見し、その病気に対応する数値の表を作成した。その数値表を”レート・ブック”と呼び、数値を”レート”と呼んだ。実験初期の可変抵抗器は3個直列に接続されており、”バイオメーター”と呼ばれた。
その後、より細かく病気と同調させる為に、可変抵抗器の精度を上げる改良が施され、反射音計”リフレクソフォン”が作られた(図)。さらに驚いた事に、これらの装置を使うと患者の一滴の血液からも病気を診断できる事をエーブラムスは、発見している。
この様な一連のエーブラムスが発見した現象に「エーブラムスの電子反応」(Electoronic Reaction of Abrams-E・R・A)と名付けた。

波動を相殺して病気を治す「オシロクラスト」の発明

診察図 ここに興味深い実験例がある。マラリア患者の血液サンプルをエーブラムスの装置の片方にセットして、助手の腹部の打診音を聴き、次にその装置にマラリアに効くキニーネを入れて見て助手の腹部の打診音が変化するかを実験した。キニーネからの波動が、マラリア血液からの波動を中和してその結果、助手の腹部の鈍い打診音が除去される事を発見した。この事が、病気治療にE・R・Aを応用させた。当時は、図のようなかたちで診療していたようだ。エーブラムスは、マラリアや梅毒にかかった組織が発する波動の性格を変えることのできる無線放送に似た波動放射器を考案できれば、キニーネや水銀剤と同様に効果的に波動を相殺できると考えた。そして友人の無線研究技師サミュエル・O・ホフマンの力をかりて、”オシロクラスト(Oscilloclast)”を完成させた。この装置は、色々な病気が発する波動を変えたり相殺することによって病気を治すことのできる特殊な波動を発することができた。その後エーブラムスと彼の弟子達は、この”オシロクラスト”によって患者を治療することで大成功をおさめた。また、E・R・Aの大学院コースも設けられた。

アメリカ医師協会からの反発

1922年エーブラムスは、一滴の血液を元に電話線を使って数キロ離れた患者の診断を考案した装置によって、遠隔的に成し遂げたことを「物理臨床雑誌」に報告した。この内容は、アメリカ医師協会の反感を買い、協会は協会誌にエーブラムスをニセ医師だとして攻撃した。
1924年にエーブラムスが死亡した後、米国では彼に対する中傷が「サイエンティフィック・アメリカン」誌に、18回に渡り連載された。しかし、多くのカイロプラクターの間でこの技術は、受け継がれていったのだった。

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