レオナルドチャップマン博士のインタビュー

ラジオニクス–新時代の科学

レオナード・チャップマン博士との対話
この記事はBorderLand Sciences Research FoundationのRadionicsの抜粋訳である。
まず、記事を読んでからディスカッションしたい。

対話は1768年に行われた。その時,チャップマン博士は80歳を越え臨床医として50年のキャリアがあった。聞き手のクラブはオカルト科学者,形而上学の博士である。ラジオニクスから外れた話題やクラブの病気の診断,治療に関する部分は省いた。以下,チャップマンの名前をチャップと表す。

クラブ:アロエって聞いたことがありますか。
チャップ:はい。

クラブ:ラジオニクスでそれを表せますか。

チャップ:はい。植物がするのと同じことを,レート(ラジオニクスでセットする,個々の物質に固有な数字)がします。植物は何かを放射しています。その放射をラジオニクス装置が複製します。

クラブ:それではあなたがもし,アロエを使ってだれかを治療したい時に,(アロエなしに)レートだけでできるんですね。

チャップ:はい。原子からの放射を得ます。わたしは病気も(あるいは病気の細胞からでる放射)に対するレートをもっています。まず,患者の体にあるそれを診断し,あると分かったら治療器と患者をつなぎます。するとさっきの(病気の)放射はまったくなくなります。

クラブ:中和するんですね。

チャップ:はい。

クラブ:ルースドラウン博士はエイブラムス博士の秘書であり,それゆえ彼女がラジオニクスに興味をもつようになったとおっしゃいましたね。

チャップ:はい。

クラブ:彼がラジオニクス装置を開発し始めたとき秘書だったのですか。

チャップ:いや,始めた後です。彼がERAを開発中,ずっと彼女は彼といました。かなりうまく装置ができた後,彼女はサンフランシスコ(エイブラムスのオフィスがあるところ)に戻ってきたりしました。彼女は,エイブラムスの秘書をしたりしなかったりしました。

クラブ:それは1920年代まで遡るのですね。

チャップ:はい。1920年代の始め。エイブラムスは1924年に死にました。

クラブ:あなたが彼女に会ったのは,あなた自身がエイブラムス博士からラジオニクスを学んでいたときだったんですね。

チャップ:いいえ。わたしがエイブラムス博士のもとに勉強に行った時,彼女はすでに講習を終え,エイブラムス装置を使っていました。彼女は自分のオフィスをもっていました。

クラブ:彼女は,仲介検体者(患者と装置の間をつなぐ健康なひと)をエイブラムスのように使っていましたか。ゴム棒で彼の裸の腹をこすることを?

チャップ:はい。しかし,後に彼女は自分なりの診断法を発展させました。彼女はほかの医者達と働き,教えてもらいました。わたしは彼女の講習を受け,彼女の診断装置を使いました。しかし,彼女は治療レートをどうやって出すか決して話してくれませんでした。私はその事では彼女に依存しっぱなしでした。

クラブ:彼女はどうしても秘密を明かそうとしなかった??

チャップ:はい。私は患者の血液を彼女に送り,彼女の装置に入れる治療レートを教えてくれるのを待っていなければなりませんでした。

クラブ:それではあなたはどうやって,治療レートを開発していったのですか?ほかの人の装置に変えるとか。

チャップ:私は他のラジオニクス装置にかえなければなりませんでした。私達,医者は8人か10人,週1回集まりました。そこで情報交換をし,研究をしました。私があとになって知ったことですが,ドラウン博士は講習でどうやって治療レートを開発するか教えていたのです。

クラブ:彼女はいつも医師,本当の医師とみなされなかったんですね。

チャップ:そうです。

クラブ:だから医者仲間は彼女をあまり受け入れなかった。

チャップ:そう。彼らはドラウン博士を最後までやっつけた。彼らは彼女がこわかった。彼女は彼らがもっていないもの,手にいれられない何かをもっていた。彼らは彼女の装置の専売特許をくれるならいくらでも払おうと申出た。彼女は迷った。

クラブ:医者はエイブラムスをひどく失望させた。彼のオリジナルな治療装置(パソクラスト,オシロクラスト)は,ひとつの決まったレートしかなかったんですね。

チャップ:それは一般的なレートを生み出した。どんなものにも適した。しかし,彼に従った医者達はひとつの決まったレートにしがみついているのはいやだった。というのはどの病気にもそれ固有の振動数があるからだ。もしそうでなければ,診断ができないし、診断料が取れない。すべての病気は同じレートをもっているだろう(という予測のもとに)。エイブラムス博士は私達に彼の研究を続行するようにいった。診断のためにだれかの腹をゴム棒でこするようなことはしなくていい日がいつかくるだろう。彼はいった。「私は細かいことには立ち入りたくない。私は道を示した。あなた方はその道をつき進んでいくのだ。」

クラブ:診断装置にゴム板をつけて,仲介検体者を不要にするという考えはドラウン博士のものですか。

チャップ:確かなことは知りませんが,ドラウン博士はそういう考えをいだいたひとりだと思います。しかし誰でもがゴム板の上で指をこすってわかるのではなかった。仲介検体者の腹をゴム棒でこする方がずっと万人向きです。

クラブ:ここで扱っているのは,ゴム棒またはゴム板の表面の静電気ですね。

チャップ:そのとおり。頭上にある電線からも得られるものです。いつもある程度,地面に漏電してます。

クラブ:ドラウン博士が発明した「ラジオビジョン」による体内の写真をみたことがありますか。

チャップ:はい。カナダにいる患者の1滴の血液からハリウッドの彼女の研究所で患者の胃の写真を彼女はとりました。彼女はすべての臓器の断面の写真をとることができました。

クラブ:他のラジオニクス医師はできましたか。

チャップ:いいえ。他の人ができなく,彼女ひとりができることでした。

クラブ:彼女のその能力は霊媒的なものだと思われますか。

チャップ:はい。どういう風にしてそういうものが形勢されるのかわかりませんが。

クラブ:私はそれをスコトグラフと呼んでいます。心がカメラを使わずに撮影用紙上に像を凝縮させます。暗室でプリント紙が保護用黒封筒から抜き出され,数秒白色光にさらされてから,現像液に浸されます。科学物質が上塗りされた紙にどんな像が物質化されたがこれでわかります。彼女のスコトグラフはすばらしい。私が見た中で最高です。もちろん彼女は霊媒と呼ばれると思うとぞっとしたことでしょう。彼女の見方えは「ラジオビジョン」に関する仕事は厳密に科学的だった。しかし,私はあの世の心霊医が像を凝結させたのだと思います。彼女はエクトプラズムを出したにすぎない。

チャップ:彼女にはエイブラムスと同じように指導霊がいたと思います。

クラブ:1960年,彼女のハリウッドの研究所を妻と訪問した時,彼女はラジオビジョン写真撮影能力を失っていることがわかりました。彼女はどうしてなのかわかりませんでした。

チャップ:それを聞いて思うことは,こういう心霊的なことを支配する法や規律があることです。もし,それらの法に従わなければ力を失ってしまう。

クラブ:ラジオニクスにおける彼女のパイオニア的な仕事の大部分は,モーヤ師(Master Morya)により吹きこまれ,指導されたものだ…と彼女は私達に語りました。このことは私達にとってと同じくらい彼女自身にとっても驚きでした。彼(モーヤ)が彼女の面前に姿を表した時,彼女は彼の事を聞いたこともなく,神智学については何一つ知らず,「社会」の創立と  への彼の影響も知らなかったのです。この師が治癒の分野における科学的発展に直接係わっていたという考えは,私には驚きでした。というのは,彼は「意志と力の第一光幅の師中の師」であるからです。しかし,これはラジオニクスの先駆者としてのドラウン博士の目につく特長のひとつです。

チャップ:(クラブの治療に関してのべた後)さて,この診断装置を自分で使う時,多くの初心者のする間違いをしないように。彼らは自分の指で反応を引き起こそうとする。これは望むことと反対だ。(やさしい動きで板をこする)こすり板があるより高い力–好きなように呼んでいいが–によって抵抗を起こすようにすることだ。もちろん,指を板に強くこすりつけたり押したりしてひっつきを起こせるが,そんなものはなにも語っていやしない。仕事をするのは装置なのだ。
実に、ラジオニクスが科学とオカルトのはざまをさまよっているかわかる証言です。装置による波動の共鳴という原理を信じて疑わないどころか、その力が霊からきていると考えているようです。
おそらくルース・ドラウンも同様に考えていたのだと思います。10のダイヤルをカバラにたとえていたようですから。

関連記事