ラジオニクス界の偉人(デビッド・タンズレー)

(Devid Victor Tansley 1934-1988)

TANSLEY&ABLEY 1934年6月30日 イギリス ロンドンで生まれる。
当時戦争が激しさを増し家族は、ロンドンを逃れ、ガレヒルのそばの村に疎開した。
ガレヒルは幾つかのレイラインの交差する地で その一つにストーン・ヘンジもあり、”スピリチァルな物はここでの生活で見いだされたのだ”と 彼自身後に回想している。
その後、サセックス州ベックスヒルに移り住む。 プランプトンの学校にて、農業科を専攻するがすぐに、カナダに移住する。
一年余りカナダで生活し 19歳の時カリフォルニアに移り、園芸学を学び造園業についた。
翌年再び生まれ故郷である イギリスにもどり、二年間英国空軍のレーダーのオペレーターになる。
そのころ、彼は、アートや 哲学・宗教学に興味をもつようになった。
親戚のジョージ・タンズレーのもとで彫刻を学ぶようになり、その彼の紹介で1958年に アナンダ・アスラム(Ananda Ashram)に出会う。 それをきっかけに、本格的に東洋哲学や禅を学んだ。
カリフォルニアにもどり、1965年 ロサンジェルス・カイロプラテック大学を卒業し州の資格を 取得する。1966年ドクター・アブレイ・ウエストレイク(Dr.Aubrey Westlake)によって、ラジエスセシア(放射感知学)を学びそして、研究を始める。

この頃から、ラジオニクスの研究に 本格的に取り組む様になる。
その後、彼は独自の考えを推し進め東洋思想をラジオニクスに取り入れ その処置法に”センター・セラピー (Center Therapy) ”と名付けた。
ラジオニクス信用組合の技術委員会のメンバーでもありその学校にて、ラジオニクスのインストラクターを勤めた。
1974年~1975年代表を勤める。英国ラジオニクス協会の理事を勤め、活動を 続ける。
1983年1月サウス・イングランドの研究所を閉鎖し、移住を目的にオーストラリアに 移り住むが、その9月再びチチェスタにもどり、12月には英国ラジオニクス協会を辞任した。 1988年7月10日 チチェスタにて54歳の人生をとじる。

センター・セラピー・インストルメンツ(Center Therapy Instrument)

タンズレーは、ラジオニクスに東洋的な考え方を取り入れ、東洋でチャクラと言われている人間の力の中心部に作用させれば、最良の治療が出来る事を見つけた。
また我々のチャクラは、電気・光・音 色などの他の形態のエネルギーの受容部位である事を発見した。
それらの色と強さの異なる光は、 効果的に患者の血液サンプルや他のサンプルを通して光を適切なチャクラに与えて治療出来る方法を 発見した。

この処置法をセンター・セラピー(Center Therapy)と呼んだ。
また、タンズレーは、次の ような事を言っている。「人間の微妙な構造は、エネルギーの流れと力線との織物の様なものであり 7つの大きなチャクラは力の中心を持っており、27の小さなチャクラと47のエネルギーの焦点が 存在している。」
また彼は、鍼灸のツボは補助的な小さい力の中心と考えられ、未来のラジオニクスは、ツボを検出して刺激する様になるだろうと暗示した。

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