ホ・オポノポノ

すっかり消えましたが、本質は不滅です

ハワイ発のセルフヒーリングです。伝統的なフナの手法を卓越したカフナ故モナ・ナラマク・シメオナ女史が現代でひとりでもできるように再構成したセルフ=アイ・デンティティ ホ・オポノポノ(SITH)のことを略してホ・オポノポノいいます。ホ・オポノポノ自体が一般名称で商標を取れないのでSITHホ・オポノポノと正式には呼びます。それをイハレアカラ・ヒュー・レン博士が今は広めておられます。

日本でも結構、密造酒のホ・オポノポノは出回っていました。

なにか道具を使うわけではなく、ただ、問題を思い浮かべ自分に対し「許してね、ごめんね、ありがとう、愛してる」と何度も唱えるだけで問題は解決するというのです。しかも問題が解決するように考えては「いけない」のです。本当にそれでヒーリング可能なのでしょうか?調べると、背後には崇高な理論と実績がありました。

宇宙スイッチ(旧:スピリチュアル・マーケティング)という本をジョー・ビターレが書き、ベストセラーになりました。
彼が講演であちこち回っている間に、一度も患者に会わずに治すヒーラーの存在を聞いたことから始まったのです。
彼についてビターレが書いた本が「あなたを成功と富と健康に導く ハワイの秘宝」です。(すごい値段になってしまっているので買わなくていいです)
顛末は詳しく掲載されています。実行するために必要なことは、この本を読まずとも書いておきます。
この本によると、ホ・オポノポノとはなにか、極力短く要約してみます。

我々は人生をコントロールできるほど、すべての情報を理解、洞察はできない。これは科学的な事実である。
人生で起きることは100%自分が原因で起きる。なぜならば、すべてはあなたの感覚器官をとおし、あなたが興味を向けたからこそ「起きている」と知ることができるから。たとえ他人が起こした問題に見えても、あなたの問題なのだ。(これはスピリチュアルの世界でもかねてからいわれていること)
その原因は、自分のみならず我々の共有している意識、個別の潜在意識ともに過去の「記憶」にまみれており、刺激があると記憶に基づいて反応するだけの存在となっている。
本来は魂の声を聞き、インスピレーションのまま、自由に生きていければなんの問題も起きないのが人間だ。
幸いにして、我々は超意識(神)に「記憶」のクリアを願うことで、無害化(クリア)できる。まるで物理現象のように確実に。
それゆえ問題を認知し自分のどこにこれを経験する「記憶」があったのか、自らに問うてみる。そして次の4つの言葉を唱える。「ごめんなさい」「許してください」「ありがとう」「愛しています」
むつかしくいえば、そういう記憶を再現し、感情に悩む、インナーチャイルドを認め、癒し、感謝するために唱える。

このように素晴らしい考えが背後にあるけれども、毎回、考えなくても「許してね、ごめんね、ありがとう、愛してる」と心の中で唱えればいい。

これにより誤った記憶は自動的にゼロとなっていく。人生は自分が100%引き起こしているのだから、問題は自分の中から消せば、他人の問題に見えたとしても、自動的に消えていく。

癒される過程と理由については、本やここを読むと情報はあります。

効果は至るところで話題になっています。ヒューレン博士はハワイの精神病院から重症な患者を祈るだけでなくした、というし、日本ではあの船井幸雄が身近の人をかなりの人数を治せたといっています。個人的な体験で即効性があったという人はいくらでもいます。人に傷つけられたから、自分の内面をクリーンにしていたら傷つけあった人と関係が修復した、という話は枚挙に暇がありません。

私は、長年もっていた疑問が解決したように感じました。それは「中国の雨男」の話です。易経を翻訳したことで有名なリチャード・ウィルヘルムが語ったあの話です。

干ばつに悩まされている中国の農村にいた時、遠くの村から、雨乞いの力を持つという人物が派遣されてきた。男は村のはずれの小屋を使わせるよう求めると、その中に入ったきり三日間出てこなかっ た。三日間の終わりに、猛烈な雨が降った。ウィルヘルムは、その老人に、どうしてこんなことができたのかと訊ねた。老人は「自分がしたのではない。私はすべて物事が秩序ある場所から来ている。雨は降るべき時に降り、陽光が必要ならば晴れる。しかしこの村の人々は、ものの道からはずれ、自分自身のあるべき姿からもはずれてしまっている。私もここに来てすぐに、その状熊に感染してしまった。それゆえひとりになり、自分がふたたび道とともにある状態になるようにした。そうすれば秩序どおり雨は降る。」

彼がどのように「秩序を戻していったのか」が非常に興味ありました。自分と世界の関係において、このホ・オポノポノは、明らかにひとつの手段を示していると思います。

多くの人が「自分の周囲で起きていることは、すべて自分の責任」という言葉に違和感を抱くようです。「責任」という言葉がきついのでわかりにくいのです。自分の環境とは、自分が認識しているものです。それは、多くの人の現在、過去の記憶から作られています。記憶は人類により共有されています。だから、「見ている記憶」にはあなたが関与している、これを責任がある、と表現しているのです。
つまり、健在意識で認識している「おまえのせいだ」という責任を問うているわけではないのです。

そして、なにに「ごめんなさい。許してください」といっているかというと、問題となっている情報に対してだ、とヒューレン博士はいっています。つまり、「自分の潜在意識のどの情報に原因があって、○○○○という問題が起きているのだろうか」と尋ね、その問題提起に対してホ・オポノポノをするということです。原因(自分が関与している理由、部分)はもとよりわからないのだから、そのまま聖なる存在に預けてしまえばいいといっているのです。

ですから目的もなしに4つの言葉を唱えている、というのは、ものすごい違和感があります。
ヒューレン博士が書いておられるように、必ず、問題提起があるはずなのです。

「引き寄せの法則」に足りない問題

人はかくありたいと思う理想をもちます。そのために努力するのですが、さまざまな障害が起きます。それは「あなたの心が引き起こしている」ということは、かねてスピリチュアルの世界ではいわれてきました。
願望をもち、その願望が達成できない時は「願望が間違っている」とまでいわれました。「じゃぁ、どうすればいいのか」ということについて明確な答えは今までなかったと思います。

ホ・オポノポノを紹介した有名人のひとり、ジョー・ビターレは「The Attractor Factor(邦題:宇宙スイッチ サンマーク出版)で願望達成には次の5ステップが必要だと唱えてきた人です。この考え方は「引き寄せの法則」でも彼自身が自信満々で話しています。実際に、彼はホームレスからカリスマ(www.Mrfire.com)にまでなった人なのです。

  1. 「自分が望んでいないこと」はなにかを知る
  2. 「自分が望んでいること」はなにかを知る
  3. 「自分の意思」をはっきりさせる
  4. 「すでに望みはかなった」と感じる
  5. 宇宙にすべてをゆだねる

つまり、「自分が主人公で、宇宙は操れる」としてきたのです。ところがホ・オポノポノの方法論は「宇宙が主人公で、自分は操られる」という話です。本来のその人をとりもどせば自然にことは成就する、という極めて東洋的な教えです。ふたつの考えは矛盾しないのか、彼も相当に悩んだと思います。「ハワイの秘法」のP235から、素直にその矛盾についての考察が始まります。(私はこれがなかったら、ジョー・ビターレは嘘つきだ、と思ったでしょう)

彼はいいます。

いままでなら、「あなたの著作、DVDを見て実践してもうまくいきません」という人の質問には、自信をもって、足りない部分「瞑想しなさい」「ザ・シークレット」を7回みなさい、などなどとアドバイスしてきた。今はそんなことは、たいして意味がないことを知っている。それゆえ、ともに祈るし、それが自分ができる最上の行動であると知っている、といっています。
問題=誤った記憶を消していくことでクリーンになれば、おのずから道は開ける。。。。

実はそれまでも、ビターレは次のような手段でクリーニングしていたのです。「宇宙スイッチ」の3ステップ目において、彼は意思をはっきりさせるために、自身がヒーラーのところにいったりオプション・メソッドについて記述しています。そこで「過去のできごとについての信念を変える」ことが運命をかえる、と述べています。はっきりと書いていないのですが、どうも彼は信念をはばむ思いを浄化する重要さには以前から気づいていたようです。

そして場合によっては願望自体を変えざるを得ないことを。
彼自身、そこはヒーラーやセラピストに手伝ってもらってきていたのです。そこについて本に書けるほど簡単、明快なものをもっていなかったので、クリアにする部分は歯切れが悪かったのです。

やっと見つけた極めて簡単な方法が、ホ・オポノポノだと、彼は結論を出したのです。私は彼の一連の著作を読み続けてそう読み取ることができました。クリアにする点が簡単だとしたら彼の願望達成のメソッドはサークルが閉じ、完璧になるのです。
つまり、「引き寄せの法則」の主張だけでは、ここにも不足があった、ということなのです。ホ・オポノポノだけでは願望はかないませんが、「引き寄せの法則」だけでも足りないのです。

ホ・オポノポノは、一定の手法で問題を手放せば、宇宙の知性が解決して戻してくれる、といっています。
それが自分の秩序を取り戻す方法だということです。

ホ・オポノポノの問題

しかし、 ホ・オポノポノに問題がないともいいきれません。なぜならば、「自分の世界で好ましくないものについて謝罪し許しを乞う」その好ましくないものは、どうやって決めるのでしょうか。たしかにモラルの高い人はアフガニスタンの悲劇についても祈れるでしょう。が、俗人の私やあなたはどうでしょうか。やはり見てみないふりをすると思います。単に嫌いな人を好ましくないこととする人も当然いるでしょう。

クリーンにするというのは、個別の願望をもつようなことではなく、因果関係がわからないのだから、問題と感じたことすべてに行うことのようです。
「神との対話」のニール・ドナルド・ウォルシュは「神よりしあわせ」の中で「願望は、人のため、自分のため、この順番で考えることだ」といっています。私はそうすることでエゴイスティックな願望をまぬがれるのだ、と思います。難しいことですが、自分の心に好ましい像を描くという行為は、自分の周囲の幸せを願い、自分の幸せも願う、という大人の精神をもつほうがいいのでしょう。

また、ひたすら「ありがとう、愛してます」を機械のように唱えよという人もいますが、いくらなんでもおかしいでしょう。じゃぁ、声をmp3にして、無限に再生しておけばいいじゃないですか。気持ちの入らない言葉は単なる音です。よくメールにいきなり「ありがとう」とか「愛してます」とか連発する人がいますが、こういう人の文面を見て、あなたは感謝の気持ちとか、愛情を感じるでしょうか?この人の感謝や愛は安いな、と思いませんか。ヒューレン博士は「あまり感情をこめなくてもいい」とはいってますが、考えずに唱えろ、といってるわけじゃないと思います。

話は少し違いますが、アファーメーションでも勘違いしている人がいます。「潜在意識は言葉を知らないから話しかけてもムダ」と聞いていたはずなのに、「何回も唱えていたら潜在意識にすりこまれる」ということを信じています。潜在意識は物覚えは悪くありません。あなたを黙って支えている存在です。唱え続けなくても、とっくにあなたの言葉を知っています。スピリチュアルには、こんな矛盾がたくさんあります。
潜在意識は言葉を受け取りますとも。

そして、ヒューレン博士は偉大な本を出しました。スピリチュアル関係の人間が誰も成し遂げなかったホ・オポノポノというスピリチュアルとビジネスの融合です。いまだかつて、スピリチュアルの分野からビジネス界の従来の考え方より優れている、といった人はいません。ヒューレン博士は本当にすごい人だと思います。

個人的に私はこの本で非常に救われました。いままで自分に課していた、時間の制約、目標の制約を手放すことができたからです。
「どんな人にも役割はあり、それはクリーンにしていればおのずからと明らかになる。日々のプロセスを楽しむ」

私は

「どんな人にも役割はあり、それは自分が正しいと思えることをやっていればおのずと明らかになる。そんなことより眼の前の宿題を片付ける」

と認識しています。

ホ・オポノポノなどを「バカげているから、やらない」というのは言葉を返すと「俺は世の中で一番頭がいいからこれはくだらないことを知ってる」といっていることと同じです。それでいて、目の前の問題すら解決できないのです。
私はいろんな人を見てきましたが、心の中でこういう考えをつぶやいている人で大きく伸びた人はいません。限界を感じたら、ちんけなプライドを捨て学ぶべきだと思います。
自分の中にないものは、自分の過去の価値観を捨てなければ手に入りません。

余計な情報に耳をふさぐこと

このページも本来、余計です。と自分で突っ込んでおきます。

そして「ごめんなさい」がイヤな人は唱えなくてもいいのです。

ネットで効果があった人の話は、たくさん掲載されていますし、共有することは素晴らしいですね。

一方、アメリカのアマゾンのサイトではヒューレン博士と同じ師匠のモナについて、人が徹底的に「ウソだ。あなたの人生にあなたに100%責任があるなんて彼女はいってない」といっています。そうかも知れません。

最近、古い「カフナの秘法」というマックス・フリーダム・ロングの本がリバイバルされています。この中にホ・オポノポノはなかったはずなのですが。。。というのも、マックス・フリーダム・ロングはハワイの土着のカフナがキリスト教宣教師に撲滅されたころに、それはマズイということで残った人へのインタビューと、ハワイ語を調査して書いたカフナの紹介本です。つまり、カフナの直伝ではなく、毛嫌いされていた白人がやや強引に集めた資料であり、真実を伝えてきっているかは疑問が残る本なのです。

こういうものは自分で実践して役に立つ立たないを決めるしかないです。万民に効く薬がないのと同じです。

最後にジョー・ヴィターレが書いたヒュー・レン博士との出会いについての記事です。

世界一風変わりなセラピスト」    by ジョー・ヴィターレ

二年前に、ハワイに住む一人のセラピストの話を聞いた。
その人は触法精神障害者(訳注:刑法罰に問われたものの、
精神障害を理由に不起訴、減刑、あるいは無罪となった人のこと)
の病棟に収容されていた人たち全員を、誰一人診察することなく癒したそうだ。
その心理学者は患者のカルテを読み、
自分がどのようにしてその人の病気を創りだしたのかを理解するために、
自分の内側を見たのだそうだ。彼が自分自身を 改善するにつれて、
患者も改善したという。

最初にこの話を聞いたとき、都市伝説だと思った。
自分自身を癒すことによって
他の誰かを癒すなんてことがどうやってできるだろう?
最高の自己改善の達人であったとしても、
どうやって触法精神障害者を癒すことができるだろう?

私には理解できなかった。
論理的な話ではなかったので私は受け入れなかった。

しかし、一年後に同じ話をまた聞くことになった。

セラピストはホ・オポノポノというハワイの癒しのプロセスを使ったのだという。
初めて聞くものだったが、忘れることができなかった。
もしその話が本当なら、私はもっと知らなければならなかった。

私は「完全な責任」とは、
私の言動に対する責任は私にあるという意味だと前々から理解していた。
その向こうのことは、自分の管理を離れていると。
ほとんどの人たちは完全な責任というものを
そのように考えているのではないかと思う。
私たちは自分の行いに対して責任があるのであって、
他の人の行いに対してではない。
精神病の人々を癒したハワイのセラピストは、
私に完全な責任についての進化した新しい観点を
教えてくれることになった。

彼の名はイハレアカラ ヒュー レン博士。
私たちは最初の電話でたぶん一時間は話しただろう。
彼にセラピストとしての仕事の全貌を語ってくれるよう お願いした。

彼はハワイ州立病院で4年間働いたことを話してくれた。
触法精神障害者を収容していた病棟は危険なところで、
心理学者は月単位でやめていき、
職員はよく病欠の電話をかけてきて、
やめていく人もいたそうだ。
人々がその病棟内を歩くときには、患者に攻撃されないように壁に
背中をくっつけて通ったらしい。それは生活するにも働くにも
訪ねるにも心地よい場所ではなかった。

レン博士は一度も患者を診なかったのだそうだ。
彼は診療室を持って患者らのファイルに目を通すことには合意した。
それらのファイルを見ながら、彼は自分自身に働きかけた。
彼が自分自身に働きかけるにつれて、患者に癒しが起きはじめた。

「2、3月後には、以前は手足を縛られていた患者たちが、
自由に歩くことを許可されていました」と彼は言った。
「多量の投薬が必要だった人たちは、投薬をやめつつありました。
そして退院の見込みのなかった人たちが退院していったのです。」

私は畏敬の念に打たれた。

「それだけではありません」彼は続けた。

「職員が仕事に来ることを楽しみ始めたのです。
常習的欠勤や退職は消え去りました。
患者は退院していくし、
職員全員が仕事に来るようになったので、
最後には必要以上の人数の職員が残りました。
現在、その病棟は閉鎖されています。」

ここで私は問わなければ気がすまなかった。

「それらの人々に変化をもたらすような何を、
あなたは自分自身の中で行っていたのですか?」

「私は彼らを創りだした自分の中の部分(パート)を癒していただけです」
と彼は言いました。

私には分からなかった。

レン博士は説明した。

『あなたの人生への「完全な責任」とは、
あなたの人生の中の 全てが
(単にそれがあなたの人生に存在しているというだけの理由で)
あなたの責任なのだと。
文字どおりの意味で、全世界があなたの創造なのだと。』

ヒャー。これはなかなか納得できるものではない。
自分の言動が自分の責任だということと、
私の人生における
あらゆる人の言動の責任が私にあるというのは全く別の話ではないか。
それにもかかわらず、実際のところは、
もしあなたが自分の 人生の全責任を負うならば、
あなたが見たり、聞いたり、触れたり、その他どんな方法であれ、
あなたが経験する全てが あなたの責任なのだ。
それはあなたの人生の中にあるのだから。

これはつまり、テロリストの活動、大統領、経済、
――あなたが経験していて好きではないこと――を癒すのは、
あなた次第だということである。
言ってみれば、それらは存在してはいないのだ。
あなたの内面からの投影である以外には。
問題は彼らに関するものではなく、あなたに関するものであり、
それを変えるには、あなたはあなたを変えなくてはいけないのだ。

このことは把握するのも難しく、ましてやそれを受け入れて
実際に生きることはもっと難しいとわかっている。
非難のほうが、完全な責任よりもはるかに簡単である。
しかし、レン博士と話すにつれて私は気づき始めた。

彼にとっての癒し、そしてホオポノポノにおける癒しとは、
あなた自身を愛することなのだと。
あなたが自分の人生を改善したければ、
あなたは自分の人生を癒さなければならない。
もしあなたが誰かを癒したければ
―たとえそれが精神障害を持った犯罪者であっても―
あなたはそれを、自分自身を癒すことによって行うのだ。

どのようにして自分自身を癒すことに取り組んでいたのかと
私はレン博士にたずねた。患者のカルテを見ていたときに、
彼は具体的には何をしていたのだろう?

「私はただ『ごめんなさい(I’m sorry)』
『愛しています (I love you)』
何度も何度も言い続けていただけです」と
彼は話した。

それだけ?

それだけ。

あなた自身を愛することが、
あなた自身を好転させる最も素晴らしい方法であり、
あなた自身を好転させるにつれて、
あなたはあなたの世界を好転させるということが判明した。

これがどのように機能するかの簡単な例をあげてみよう。

ある日、誰かが私を不愉快にさせるメールを送ってきた。
過去そういう時には、
私は自分に感情的な反応を引き起こすものについてワークしたり、
あるいは意地悪なメッセージを
送ってきた人に理を説こうとすることで処理したものだった。
今回私はレン博士のメソッドを試すことにした。

私は「ごめんなさい」と「愛しています」を声に出さずに
言い続けた。
特定の誰かに向かって言ったわけではなかった。
私はただ愛の精神を呼び起こし、
この外側の状況を創り出した
自分の中を癒そうとしただけだった。

一時間もしないうちに同じ人からメールが来た。
彼はさっきのメッセージについて謝罪していた。

私は謝ってもらうために外側に何も働きかけをしていないことを
覚えておいてほしい。私は返事すら書いていなかったのだ。

にもかかわらず、「愛しています」と言うことで、私はどういうわけか
彼を創り出していた自分の内側を癒すことができた。

その後、私はレン博士が開いたホ・オポノポノのワークショップに
参加した。彼は今では70歳で、優しい祖父のようなシャーマンと
見なされていて、少々引きこもりがちである。
彼は私の著書『The Attractor Factor』をほめてくれた。
私が自分を向上させるにつれて、私の本の波動が上がり、
人々が本を読むときに皆それを感じるだろうと彼は語った。

要するに、私が向上すると、私の読者も向上するということだ。

すでに売られて外に出ている本についてはどうなんですか?と
私はたずねた。

「それらの本は外にあるのではないよ。」
彼が持つ神秘の知恵に私はとても驚いた。
「未だにあなたの中にあるんだ」

つまり、外なんてないということだ。

この高度な技術を、それが値する深さとともに説明しようと したら、
本が一冊書けるだろう。
あえて言うなら、あなたが あなたの人生の中のどんなものでも改善したいのなら、
見る べき場所はただひとつ、あなたの中である、ということだ。

あなたが見る時は、愛をもって見るように

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