レイキが生まれたころ

レイキができたころの雰囲気を知るために
この記事はレイキファンの神経を著しく刺激するらしく、消せ、とか、すべて間違い、とか、自分に都合のいい証拠だけで論破したつもり、とか、本人に確認にまで行った人など批判が耐えません。
表現の自由やひとつの当時生きていた老人の感覚といったことが許容できないようです。私は残します。
望月さん、レイキってそんなに寛容さに欠けるものでしたっけ?

明治から精神世界を見つめてこられた生き証人の佐々木浩一先生にレイキについてお伺いする機会がありました。当時、生きていた人にどう受け止められていたかという感覚はその人達のものであって、後世の我々があれこれ言えることではありません。言葉で聞いたため、一部カタカナ書きがあるところはご容赦。

レイキの由来

大正時代に,ある海軍武官がアメリカに渡った。そこでマダム・エディが始めたクリスチャン・サイエンスを見る機会があった。悪いところに手をあてて治療するというのは、聖書のマタイ伝にも出てくるのである。

海軍武官は日本に帰国後、仕事にあぶれていた臼井甕男氏に「これで生活できるだろう。」ということで手当て療法を教えた。
臼井氏はそれにいろいろと神秘的な色づけをして、世に広め始めた。(別に山にこもって修行したわけじゃないようだ。)

ただ、臼井氏の伝法料はべらぼうに高かった。15日で45円ほどであったという。当時の一般的サラリーマンの月給が20-30円であったというから、相当なものである。それで臼井氏から習った人々があちらこちらで手当て療法を教え始めた。

特に勢力の大きかったのは、大阪では富田カイジという人始めた富田流。山梨では当時、山梨県立高等学校校長であった江口俊博(エグチ シュンパク)氏が無償で教えていた。江口俊博には従兄弟にエグチチンパクという退役海軍将校がおり、この二人が創始したのが「タナスエの道」であった。

当時のマスコミの動向も忘れてはならない。雑誌「日本及び日本人」、「実業の日本」「主婦の友」などに多くの特集が組まれ、松井ショウオウなどが執筆をしており、多くの日本人が知るところとなった。

しかし、手を当ててどうして治癒が起きるかという疑問には誰も答えることができなかった。そういった中、慶応大学教授の林タカシ氏が、暗示説をだした。それによりなんとなく流行がすたれ、なくなっていった。

レイキを手当て療法として評価する

佐々木先生は引き続きおっしゃいます。(先生自身がそうとうに手当て療法を研究、実践されています)
レイキの特長というが、

  1. アチューメントなど手当て療法に必要ない。
  2. 手当て療法の力は誰もがもっている。
  3. ただし治療の力をつけるには訓練(修行)は必要。それがない。
  4. 手当て療法としてはカリキュラムが貧弱。
  5. どれくらいの治癒率か明らかにせよ

という点を指摘されています。
そもそも手当て療法は世界中で見ることができるものである。氣功などもそれに似たことをやっている。レイキの元となったクリスチャンサイエンスすら他の手当て療法をまねたといえる。

例えば、英語でroyal touch(王のひとさわり)という言葉がある。王の手は治療の力をもったものと思われていた。特に効き目があったとされるのがroyal-evil(るいれき:首筋のリンパ腺の病)であり、そういう言葉が古来あるくらい歴史あるものだ。

戦後のサイ科学によりオーラや氣をある程度、測定できるようになった。今や、このような秘密めかした方法は必要ないし、宇宙エネルギーなどを持ち出す必要もない。もっと合理的に手当て療法を広めたらどうか。

筆者も神田などの古書街で古い手当て療法の本はいくつか発見しています。昔、一斉を風靡した「手当て療法」の残滓を見ることができます。


この記事に関心を示してくださった志水一夫氏が2009年7月3日にお亡くなりになっておられました。「と学会」に限らず、博識でバランスのよいものの見方をなさる方でした。パソコン通信の時代からハンドル名「夜帆」で多少の交流をさせていただいておりました。 ご冥福をお祈りします。合掌。

関連記事